ソウルメイト輪廻転生を描いた映画「クラウドアトラス」から考える生きる意味

2019年6月7日金曜日

ツインソウル ツインレイ 映画 独り言

t f B! P L

この映画は役者の人が時代によって特殊メイクとかで別人になってるけど

魂は同じという設定で、
それぞれが繋がっていて
時代によって立場とかいろいろかわってるのが面白い



この時代で愛し合っていた二人は
来世でまた違う立場で出会うけど


その時の決意によって
ヒューゴウィービング演じるそのソウルメイト?グループソウル内でのヒール役がまた同じことを繰り返したりして
、自分にとって父親がそうなんじゃないかって勝手に思った。笑




悪役は悪役で
自分になにかを気付かせるために
そういう役回りしてくれてるんだろうな
(スピリチュアル的に言うとね)


同じ魂同士で
違う時代に違う立場で
たくさんのドラマをロールプレイング
して体験っていうことを繰り返す



だから死はゴールではないっていうセリフが
たびたび出てきていて


そういう俯瞰で人生を見れば
苦しみすらテーマパーク的な体験だと思えるから
気が楽になる

っていう話はよく聞いたけど




私もいろんな自分の貯めこんだ思考、記憶に
苛まれて苦しくてうつ状態になっていた時は



「そんなこと言われても
いま苦しいのに!
わかるわけないよそんな簡単に思えないから辛いんじゃないか!」



みたいに思ってて
今もそりゃあ出来れば苦しい思いはしたくないけど

あまり今とうつ状態の時期と
状況は変わってないのに
今の私は



「自分を追い詰めてたのは私だったし、いらない人生のこだわりとか、誰かへの想い、恨みでもなんでも吐き出したら、少しだけど俯瞰で見れるようになってきたかも」



っていう感じ




私の父はそのままなくなったけど
仲直りできないままだったとか
後悔も悲しさも
感じ切れてない情みたいなのも
まだ少し消化不良だけど



「父は肉体の死で解放されてあの世でエンジョイしてるよ」


っていわゆる見える人から聞いて
生きてる立場からすると
結構まだ怒りわいてくるから

そんなの忘れるくらい自分だけの人生楽しまなくっちゃ
って思う



父の夢をたまに見るんだけど

夢のなかで私は
なんで生き返ってんだよ(怒)
って感じてて(笑)

まだ未練たらたらな自分に笑えるくらいにはなってきた


だからっていましんでもしにきれないから
自分で自分を浄化するために
幸せに生ききるほうがいいに決まってる

私の父の場合はあの世に認められて逝けたけど

返される人は返されるし
仮に肉体を離れられても
未成仏霊としてさまようことに
なっちゃたりするから

意識では「もう消えたい」とか思ってても
無意識が未練たらたら悔しさまみれだと
なかなかいけないんだろうなって今は解釈してる

とにかく自分に嘘つかないで生きないと
自分に恨まれるよってことなんじゃないかな

そう思うと怖いものって自分しかいないのかもしれない


だから他人のことばっか気にして自分から逃げようとしちゃうんだな


今はそんな自分に平謝りしまくってる時期だなぁ笑


クラウドアトラスの話なのに自分語りしちゃった

けどブログってそういう場所だからいいのか笑


輪廻転生する意味

このソウルメイトグループ?たちは時代時代で
つながっていて物語を作ってるけど

そもそも何のために?

って思うんだけど

私はやっぱり体験するため説がしっくりくるかな


あとは想いを繋ぐか、断ち切るためとか

まあ人それぞれすぎて
それだと膨大すぎてなんも言えないね


人それぞれのその人にしか味わえない経験

宇宙的にいうとそれが何よりも価値あるものになるのかな

いや知らんけど(笑)


だからこそ
他人を気にしてる場合じゃないのかも
って思って焦る時がある

でも気にする事で自分を誤魔化して生きるっていう体験はそれはそれで一つの物語なんだろうな


心配とか、何かをみたり触れたりしたことで
脊髄反射なみの速さで
反応して
それをすぐ外に出すのが私は昔から苦手だ

すぐ出来る人たちが羨ましいとも思ってたし
逆に愚かだとも思ってた時もあった


すぐに出せる人達の
出したものに
いちいち過敏に気にしすぎてたっていうのも
こじらせる原因になったのかな


本当はそこには何にも意味もなかったのに
私は勝手に意味づけしてただけなんだろうな



自分の反応には鈍感になって
無視しまくってた

人間にとって一番つらいのは
無視されることだ
ってどこかで聞いたけど

その捕捉として

無視されて一番つらい相手は

親でも、世間でもなく
自分自身なんだろうな


泣きたいとき泣く
ムカつくときキレる

喜怒哀楽を自分に出させてあげる

本心を知るだけ



こんなのきっと呼吸をするぐらい
本当は当たり前のことなのに

抑え込んで抑え込んで麻痺して


だけど抑え込んだのは一番最初は誰のためだったのかな
と考えると
きっと大好きな、愛してほしかった、愛してた人のためだったはずなんだ


そういう抑え込んでた自分も自分が理解する
頑張ったんだね、そうするしかなかったんだよねって。


そうやってしばらく慰めてると

それは結局自分を無視した理由を
その人のせいにすることになってしまうことに気づく


その人のせいに思いっきりしまくる時期もあったほうがいいけど

いつまでもしててもどうしようもないんだよね

自分で気づくしかないから大変だ


生きるってとんでもないことやってんなー笑



なんかつらつら意味不明こと書いてたら
そろそろ飽きてきたからここで終わっとこう


生きる意味?

そんなこと自分で考えな!


ってことなんだろうな
私にはわからないことだらけすぎて
まだ早い話だったかも(笑)

QooQ